生い立ちと登山への想い①

こんばんは。直己です。自分の生い立ちとセブンサミットへの想いを書きたいと思います。

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私は1982年6月生まれです。出身は埼玉県草加市です。草加せんべいをご存知の方も多いと思います。

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私の幼少の頃は、どんな子どもだったかというと、やはり多動症だったのか、じっとしているのが苦手で、外出先ではよく迷子になった記憶があります。

高い所が好きで、公園のジャングルジムや登り棒、木に登ってよく遊んだりしていました。

ADHDの子どもは、一説によれば高い所にやたらと登りたがる傾向があるそうですが、私もそうでした。

 

甘えん坊で、5歳まで寝るときは指をしゃぶって寝ていました。

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遊んでいて転んだりすると、大して痛くなくても大袈裟に泣きわめいて、誰かに優しくしてほしくて周りの人の気をひこうとしたりしていました。

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幼稚園の頃は、友達と外で活発に走り回るというタイプではなく、なぜか「のりぴー」の絵ばかりをひたすら毎日のように描いていました。

 

小学校に上がっても不注意が多く、忘れ物は日常茶飯事でした。

 

父は私にいろんな習い事をすすめました。 

巨人ファンの父の影響で、私も漏れ無くもろに影響を受けていました。

当然、最初の習い事は野球でした。小学校に上がると同時に兄と同じ少年野球チームに入団しました。

 

しかし、ある事がきっかけで私は入団してすぐにボールに恐怖心を抱くようになってしまいました。

 

それはまだ入団したばかりの頃。

練習の日、同級生のS君とキャッチボールをすることになったんです。

このS君、なかなかのくせ者だったんですね。

 

初めは普通にキャッチボールをしていたのですが、私のキャッチボールが下手くそなことにイライラしたのか、S君の投げるボールにだんだんと球威が増していきました。

やがて彼は私の顔面をめがけて、速いボールを近い距離から投げるようになりました。当然、私はボールをキャッチできず、ついには彼の豪速球で顔面を打ったのでした。それはその日1度だけではなかったと記憶しています。

 

このことが原因で私はボールが怖くなってしまい、その後小学校5年まで野球を続けましたがまったく上達しませんでした。

 

これが私にとって人生初の挫折だったと思っています。

 

次回へ続きます。